引き続き呉ママチャリの旅をお送りします。
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前回の記事はこちら⇒
【旅】呉ママチャリの旅ー3(大和ミュージアムその1) - 日々イノベーション (hatenablog.com)
引き続き大和ミュージアムです。
呉で作られた艦船の部品や工具などが展示されていました。ホンモノの主砲のカットです。中を見ると線条跡が作られているのが見えます。(砲弾を真っすぐに飛ばすための溝)
裏側にレンチが展示されていしたが、流石に船を作るので巨大です。これを手で作業するのには2名は必要でしょうね。( ;∀;)
大和の主砲のカットモデルです。
大和を建造した時のドックの様子です。この後に現物を見に行ってきました。
こちらがケガキ定規。これも当然ですが超巨大です。
こちらが戦艦のボイラーです。これで蒸気を作ってタービンを回してプロペラを回していました。
こちらは各種測定器です。エンジン関係は孔の内径を測定するゲージなど、独特の測定器を使います。
有名な南雲中将の短剣です。
様々な艦船の模型が展示されていました。
こちらは海軍の航空機の模型。
航空戦艦というコンセプトの戦艦もありました。
下は有名なイ400です。艦内に特殊攻撃機晴嵐を格納していました。パナマ運河攻撃のために作られたものです。
これはバベルの塔と言われる戦艦扶桑です。
この艦橋の形状は凄いですよね。最上階は揺れが凄そうです。( ;∀;)
昔はこのように主砲が真中にも設けられていたりと、試行錯誤の経緯が見られます。
航空機の搭載もかなり複雑な設備を持っていたようです。煙突も初期は2本あったりしたのを1本にまとめてと技術の変遷が伺えます。
この当時の空母もエレベーターが備えてありましたが、真中にあったので離発着の際には使えなかったと思いますし、離陸のために航空機を並べるのも大変だったでしょう。
これらが呉で作られた艦船の全てです。
これは大和の探照灯です。鏡の曲面はとても複雑なRで構成されています。当時はNCマシンなどもありませんでしたら、これを手加工で作った職人さんも凄いです。
こちらが大和の構造図です。前方に食糧庫があり、食料長期保存のためにも空調が使われていたそうです。(一般的には大和ホテルなどと揶揄されていますが、実はちゃんと考えて空調を備えていたことが良く判りました)
こちらは実際に建造の際に使われた溶接道具。
こちらも工具類です。
進水式で配られたものです。
独特の形状といい、本当に美しい船です。
現在の沈没している大和の状況です。アニメの宇宙戦艦ヤマトのようにはなっていません。(笑)
昭和の技術で艦船を作るということが、どれだけ高度で凄いことなのかが良く判りました。私も元々機械屋なので感嘆しましたよ。(#^.^#)
この後はホンモノの特殊兵器やゼロ戦などを見学します。
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